未来の日本は「リーダー不在」か
インド占星術とはかなり話がずれてしまうが、
少しだけ占星術的な観点をまじえながら、
「リーダー不在の現実」について考えてみる。
あまりにもつまらない話になるので、
そっち方面の興味が薄い方には
ここでページを閉じる事をお勧めする。
人が生きてゆく上で起こる様々な“戦い”の中でも、
軍事力とは直接的に関わり合わずに済む、
平和的形態が “経済活動” である。
逆に言い直せば、
“経済活動” とは “戦い” であり、
すなわち “勝ち・負け” が全てだ考えている。
誰かが勝つためには、必ず誰かが負ける。
いかに清廉潔白に見える経済活動にも、
そういう残酷な一面がある。
単純に競争相手との闘いであるだけでなく、
“泣いて馬謖を斬る” という局面もある。
(仲間との葛藤)
常に何らかの形で犠牲が出るという事だ。
成功するという事は、
その裏で誰かが敗北するという事で、
その時の自分は、
他人の屍の上に立っていると思ってもいい。
自分の商売がうまく運んだ時、
他の人を見下すような言動をとるのは、
死人にツバを吐くのに等しく、
恥ずべき行動だと考える。
勝者というのは、他人の屍の上に立っている、
それが偽りのない現実だと理解した上で、
周囲からの怨みも責任も等しく背負う
覚悟を決めた者が、真のリーダーだと言える。
しかし昨今、会社を起こすにあたり、
その境地を目指していこうとする者は少ない。
特に30歳以下の若年の起業家と交流すると
一目瞭然だが、言う事だけは大きく、行動力も
あるが、残念なほど下品なケースが多く見られる。
(もちろん全員ではない)
それと同時に彼等の多くは、どういう訳か、
いとも簡単に他人の思想から影響を受けて
洗脳されてしまう脆い面も持ちあわせている。
(この事実もまた、彼らの視野の狭さや
想像力の低さを、強烈に裏付けている。)
昔の起業家達がどうだったのかは、
年配の経営者達からうかがい知るしかないが、
少なくとも ここ近年の日本における起業家の質は、
危機的なレベルで低下の一途だと言わざるをえない。
一方、そうした事態に危機感を募らせ、
風潮の改善のために行動を起こす人も尽きない。
(すべて、あくまでも私の主観)
そして10年後、20年後には、
彼等の苦労も報われるのではないかと思っている。
というのも、
Z世代の資質も非常に2極化していて、
「いい加減」な人が増加の一途をたどっている反面、
「志」も「知識量」も「センス」も驚くほど
高水準の、ほとんど万能のような若者も増えているからだ。
ここには、大いに期待している。
いずれにせよ、
風潮の改善のために動いている有志の人達は、
思考パターンも行動パターンも
12室的な要素が強いと私は感じている。
あるいは時として、極めてケートゥ的である。
また時に、ケーマドルマちっくであり、
サンヤーシ(サン二ヤシ)ちっくでもあるが、
ケーマドルマやサンヤーシ的な資質が強い場合は
しばしば非常に周囲から誤解を受けやすく、
極度に自分を追い詰めてしまい精神をこじらせる
事が多いため、なかなか一筋縄ではいかない。
したがって、
すこしでも無駄な軋轢や横槍を予防するために、
余計に表舞台へ出ようとせずに、水面下(12室)で
動く傾向がある。
智慧と言えば智慧だろうが、つくづく理不尽に思える。
しかし、ある意味それでいいやという所まで悟り、
割り切っているのも、また彼等の特徴だろう(Ke 的)。
怨みも誤解も責任も背負いながら、たんたんと
進んでいく姿は、真のリーダーのように感じられる。
その逆で、表へ出ようとしたがる者は、
もっぱら彼等よりも志が低いと言わざるをえない、
主に若年層の起業家達で、
残念ながら近年は、そうした若者の天下である。
その様子は暴走したラーフ的であり、
悪い意味で太陽や火星的であり、
11室 至上主義のようである。
リーダー不在の時代と言われて、
長すぎるほど長い年月がすぎているが、
本当は、リーダー不在という事実はない。
今は上で述べた通り
信頼に値するリーダーのエネルギーが「裏側」に偏った
状態で存在しているだけで、不在とは呼べない。
ただ、裏側に対する感度が低い人(アンテナがない人)は、
不在と思って嘆き悲しむ、それだけの事のような気がする。
嘆き悲しむだけなら良いが、
消沈しすぎて、
うっかり自分も時代の風潮に流され
何かの拍子に洗脳されていく。
仕事がうまく運べば下を見下すような、
残念なリーダーがまた 1人増える。
この流れを止めてくれるのは、
今のℤ世代の、
二極化の反対側の極にいる人達ではないだろうか?
大いに期待したい。

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